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菅原文太の三人称は「兄ィ」です。
-兄ィの略歴-
昭和8年、仙台生まれ。
早稲田大学中退後、ファッションモデルをしているときにスカウトされ、昭和31年「哀愁の街に霧が降る」でデビュー。
その後、新東宝で吉田輝雄・寺島達夫・高宮敬二と共に"ハンサム・タワー"として売り出すも、会社倒産につき全員が松竹に引き取られる。が、ここでも開花せず、共演時に知り合った安藤昇の紹介で昭和42年、東映へ。
昭和44年、「現代やくざ・与太者の掟」(監督・降旗康男)で主役デビュー。
昭和47年、最初の深作-文太ライン作品「人斬り与太」(監督・深作欣二)、公開。 その後「仁義なき戦い」「トラック野郎」シリーズでの活躍は周知のとおり。
最近では保険会社や米のCMに出演する姿を見かけるが、現在は岐阜山中の山小屋で 静かな生活を送っているとのこと。

-最近の仕事-
1998年10月19日、NHK-BS2「旧街道を行く」に菅原分太親子が出演。旅館で作ってもらった弁当を開いて一言、「これはドカベンだねぇ」
1998年末〜、保険会社および米のCMに出演。「おっと」「ドンブリで(一膳)」

-補足-
1998年4月13日付け中日新聞岐阜版より
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◆菅原文太さんが清見村に引っ越し 飛騨を拠点に芸能活動
【岐阜県】俳優の菅原文太さん(64)が11日までに、岐阜県大野郡清見村に引っ越した。
東京の事務所も自宅も引き払い、今後は静かな飛騨を拠点に芸能活動を展開するという。
菅原さんは20年近く前に、同村の経営者と知り合い意気投合。
昭和57年夏、木造2階建ての山荘を建設した。
菅原さんは8月、名古屋初舞台として御園座公演「半七捕物帳」に主演する。
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Copyright(C) 1998 The Chunichi Shimbun

「映画渡世・地の巻 マキノ雅弘自伝」(平凡社)より
......昭和43年の「ごろつき」には菅原文太が出たが、その前に、私が仕事で泊まる京都の宿に一緒にいたことがあった。
歌が好きで、毎朝、ギターを弾いて歌っていた。本人は静かにやっているつもりだったのだろうけれども、直ぐ隣や下の部屋に泊まっている連中には、毎朝ブンタカやられてかなわんと云われていた。「あのブンタカターの奴め」などと皆云っていたものだ。私の部屋の直ぐ2階に彼が泊まっていて、私が起きたと解ると、「ハイ、ハイ!」と体操をやるのが日課になった。

-必要十分文献-
「やくざ映画とその時代」(ちくま新書)
「仁義なき戦い 浪漫アルバム」(徳間書店)
「実録「仁義なき戦い」戦場の主役たち」(洋泉社MOOK)
「仁義なき戦い」(角川文庫)
「仁義なき戦い」(幻冬舎アウトロー文庫)

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