-ボクサー-
監督:寺山修司 出演:菅原文太 清水健太郎
夭折した天才劇作家・寺山修司のメガホンによる、商業用娯楽(ボクシング)映画(しかも東映!)。
アングラ演劇の大家とだけあって、随所にアングラ演劇的な演出を盛り込んだ普段の東映作品ではみることのできないアヴァンギャルドなシーン満載、日活時代に会社から怒られた鈴木清順も真っ青のかなりヘンな作品である。
また娯楽ボクシング映画らしく、ファイティング原田、白井義男、輪島功一、海老原博幸、西城正三、具志堅用高、そしてガッツ石松などの新旧世界チャンピオンのゲスト出演も多彩で、なかでも具志堅は胸いっぱいに「YOKO=GUSHIKEN=JAPAN」とロゴの入った思わず赤面ものの緑色のトレーニングシャツ着用で登場、練習風景のサービスカットもありで、新人ボクサーの清水健太郎に「かんばれよ」と激励するセリフもある。
いちおう寺山は無類のボクシングファンであったようで、その一端がこれらのシーンから感じられる。
さて、文太兄貴は元プロボクサー役で登場、しかも現役時代のタイトルマッチで完全に勝っていた試合を、突如戦う気を無くしてわざと打たせて負けたかなりヘンなボクサーとしての過去を持つ。
冒頭のシーンでは、街かどに張ってある「輪島功一(三迫ジム)対エディ・ガソ(ニカラグア)」のポスターに「ブシュ!」と景気のいいツバを吐きかける始末。
ボクシングに対してある種歪んだ感情があることは確かなようだ。
住居の安アパートには、なぜか老いたドーベルマンを飼っており、別れた妻(春川ますみ)の未練がましい訪問を受ける文太兄貴、春川ますみの「抱いて〜」と絶叫する肉弾攻撃を邪険にかわす文太兄貴。
この文太兄貴には同じくプロボクサーの弟がいたが、片足に障害を抱える新人ボクサー清水健太郎(以下シミケン)との試合で命を落としてしまう。シミケンを憎む文太兄貴。
しかし、このホープシミケンも不自由な足のせいで次の試合を落としてしまう。
もっと強くなりたいと感じたシミケンは、なぜか自分を憎む文太のもとへと弟子入りを志願。最初は邪険にあつかわれるが、その熱意に押される文太、清水に弟子入りの強い意思を確かめるために
「おまえは人を憎めるか?」
と問う。その質問の対しシミケンは
「憎める!オヤジを!オフクロを!沖縄を!そして世の中全部を!」
と絶叫。ただの娯楽映画として見ている東映フリークの俺はいささか困惑。
そして、弟子入りを許可した文太とシミケンとの二人三脚のトレーニングが始まる。
ラストは新人王決勝戦。壮絶な打ち合いの末、両者同時にダウン。リングサイドで叱咤する文太、しかし、文太の眼は現役時代の激戦のせいか網膜剥離を患っており、その視点であるカメラはリング上のぼやけた映像を映し、倒れた両者がどちらがどちらであるか見分けがつかない。進むカウント、どちらかが立ち上がろうとする。しかし、ぼやけてよくわからない。
次第に画面がクリアになっていき、立ち上がったのはシミケンだった・・・。
ラストに関してはベタベタのボクシング映画テイストである。また、ところどころに、当時人気のあったボクシング漫画「あしたのジョー」にインスパイアされた匂いも否定できない。
劇中には、シミケンが利用する食堂が何度か登場する。そこは大正ムード満点のインテリアを使った洋食屋であり、そこに登場する人々もサルバドーレ・ダリのバッタもんみたいなヘンな人ばかりの寺山アングラ演劇ワールドを形成しているし、シミケンがアパートで文太の実娘と一発かましたあとに泥だらけの日本人形がでてくる象徴的シーンなど、およそ東映にはにつかわしくない前衛演劇的世界がくりひろげられる。
また、実在した非業の死を遂げた名ボクサーの名前を列挙するナレーションがかぶさるシーンもある。
ピストン堀口・・・列車に跳ねられ死亡・・・大場政男・・・東名高速で交通事故で死亡・・・。
う〜ん、深い。
寺山はボクシングは好きではあったが、そのマイナスの面(辛さ、切なさ、あっけなさ)を文太に投影していたのだろう。しかし、アングラ演劇的象徴主義が災いして、文太氏の魅力あるキャラクター創出は失敗に終わっていた。
B級活劇お約束のようなラスト、なぜかヤバい眼だけを除いて、あとは全然ボクサーらしくないシミケン。そしてアヴァンギャルドな寺山の演出などがぎこちなく反発し合っている。
いわば東映とATGを足して2で割った作品(ぞんざいな例え)で、東映のアクション映画としてお客を取るには明解さ、勢いにも欠けている。当然このような中途半端な舞台では、文太氏の存在感はいまひとつ生かされない。
しかし、当時(1977)のキネマ旬報では年度8位にランクされ、松田政男などの個性的な評論家が10点満点などの高得点をつけており、まぁわかる人にはわかる世界なんだろーな、と思いました。
(すす)
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